僕の仕事人生に大きな影響を与えた人たち

2004年に新卒後就業してから、16年半。僕の仕事人生で大きな影響を与えた方々について匿名にはなりますが、記述したいと思いました。彼/彼女たちは、明らかに僕の仕事観や人生観に影響があります。僕がどのようにして今のような人間になったのか、そして今後どのようになっていくのか・なるべきなのかを書くべきと考えました。半年くらいずっとtask listに書いてあったのですが、ずっと後回しになっていました。
想定する読者は、今のjustInCaseの仲間たち、そして未来の仲間たちです。毎度のことですが、文才が無いので読みづらいのですが、ずっとずっと思っていたことを書いているので嘘偽りは無いです。

Millimanの日本代表のI社長(新卒. 2004~2007)

言わずと知れたアクチュアリーコンサルティング会社です笑。はい、普通に生きてたら誰も知りません。当時、東京支店は15~20名程度のところに、新卒採用は3年ぶりで3人目とかで入社しました。当時の僕的には、「金融工学を理解したアクチュアリーは日本に10名もいないっぽいぞ!その中で競争すれば僕でも勝てるはずや!」と意気込んでいました。(この新卒一年目に、金融工学のセミナーをアクサ生命様にご提供させていただいた時に、その際にアクサ生命から参加していた同じく新卒(?)の小泉と約15年後にjustInCaseを創業することになりました)
I社長は、当時およびその後10年くらいの日本の代表パートナーでした。たしか彼は新卒で共栄生命(今のジブラルタ生命)で、共栄生命は日本の生命保険会社としては非常に目面しく再保険に取り組んでおり、その関係かその後MBAに社費留学した関係か忘れましたが英語がすごく堪能な中年(当時50歳弱)の男性でした。
入社前にインターンで1ヶ月ほど在籍させていただいたときは何も感じなかったのですが、入社後すぐ、僕はとにかくI社長のことが嫌いになりました。というか、僕以外の人たちも、概ね彼のことが嫌いでした。特徴は、

  • 結構マイクロマネジメントで細かいことをいちいち指示してくる
  • ネチネチしている
  • 英語堪能なので、海外パートナーとの連携は良いのだけど、一部の人からは国籍を問わず嫌われている
  • 政治的な動きを思いっきりしたりする

今冷静に考えても、どうしてあんなに嫌われていたのかわからないですが、とにかくそんな方でした。何度も何度も叱咤されました。具体的な言葉は忘れてしまいましたがプライド(?)を傷つけられることを言われて、その後電車の中で思い出して泣いてしまいました。(当時の僕には)そんなことは生まれて初めてでした。どうしても、当時の僕には、彼の言っていることの多くが、理にかなっているようには思えず、またこれは僕の至らぬところなのですが、多くの方が嫌っていたこともあり、そこまで尊敬もできず、叱咤の言葉がすっと頭に入ってきませんでした。
しかし、当然あとで気づくのですが、新卒の僕に、彼は途方もない気遣いをしてくれていました。仕事もかなり任せてくれました(上記のアクサ生命様へのセミナーとかも、日本の二人しかいない金融工学チームのメンバーとして何度も何度も本社に派遣してくれたり)。当時の僕は、ビジネスも好きだったのですが(今と違い?)金融工学的な保険数理的な実務への応用だとか、リスクカーブのコピュラによる統合だとか、確率論的IBNRだとか、ダイナミックラプス関数の推計だとか、確率論的ERMだとか、とにかく遅いVBAをC++/DLLで加速させるだとか、少し技術的・学術的な話題を仕事にするのが好きでした。というか好きだったのでそういう仕事を任せていただいていました。上記、ほぼ全てのプロジェクトは、I社長が、「じゃ、これは畑さんに担当してみてもらいましょうか」とほいほい言ってくれてました。他にもやりたいことはあっても、NGされたものもありますし、例えば生命保険会社の営業を3ヶ月でいいから派遣してくれ、というのは特にNGされましたが。
新卒後、3年程度でMillimanを転職することになりました。3年目くらいからだったか忘れましたが、僕はどんどん彼のことが好きになっていました。周りの人はそうでもなかったかもしれません。何故そうなったかというと、実のところ彼は、

  • 圧倒的に戦略的に会社のことを考えている
  • 土日も関係なく自分の会社(ではないのだけど)のために誰よりも長時間考えている。
  • やり方はまずかった部分もあったのかもしれないが、部下を気遣ってものごとを進めていた。多分自分が嫌われていることなど百も承知で、その上でも自分にできることをしていた(厳しく業務を進める性格だった)

上司部下ではなくなったこともあり、転職してからは定期的に飲みに行っていました。在籍中も比較的よく一緒に飲みにいく方でしたが、転職後の方が、投資銀行に転職した僕のことをリスペクト(?)し、少しだけ対等に扱ってくれていたことが、(本当に小さな人間ですが)嬉しかったのが今でも覚えています。
I社長には、転職の4年後に結婚することになった僕の乾杯スピーチを頼みました。案の定めちゃくちゃ長い乾杯スピーチでひんしゅく(?)を買っていました笑。彼は60歳手前でリタイアしていましたが、残念ながら数年前に事故でお亡くなりになりました。僕は彼にお礼を言えていません。

JPMorgan(2007~2009)の営業のKさん

MillimanからJPMorgan(以下、JPM)への転職は、初めての転職ということもあったのかもしれませんが、非常に大きな転職ギャップを感じました。例えば、

  • それまでは僕はどちらかと言うと英語が堪能(今思えば稚拙)な方だったのですが、JPMは英語話せない人の方がマイノリティ
  • 憧れてた(今思えば稚拙)海外有名MBA卒業者がわんさかいる
  • Millimanも鬼のように働く人が多かったのですが、弁護士などと同じく時給ベースでの働き方なのに対して、JPM(マーケッツ部門でした)トランザクションベースでの働き方で、とにかく狩猟主義
  • リーマンショックちょい前ということもありましたが、皆さんお金持ち。趣味のスケールが違ったり。

そんな異なる環境で、多分500名くらいいたJPMorgan証券の中で、「保険会社向けビジネスと言えばあのアクチュアリーの畑に聞けばわかるんちゃう?」というポジションが自然と築かれ、ある程度重宝もされ仕事は充実してました。ただ、これまでとは少し異なり「案件を採る」ということに重きを置いたカルチャーになり、上限関係もMillimanのようなフラットなものではなくなり(今考えればその後入社する野村證券の方がよほど非フラットですが)、戦略コンサルっぽいちょっと綺麗なプレゼン資料の作り方も叩き込まれ、楽しみながらも戸惑っていました。
なお、所属部門はリスクマネジメントソリューション部(RMS)という、顧客にリスク分析をしつつ、投資銀行商品(債券や株式関連商品、およびデリバティブなど)を販売するというもので、営業部門というよりマーケター部門でした(注:投資銀行マーケッツ部門は、基本的に、営業・マーケター・トレーダー・ミドルバックオフィスで構成されます)。RMSには僕を含めて4人のメンバーしかおらず、僕が4人目のメンバーで経験的にも年齢的にも最若手でした。一人部門長(あれ、室だったきもするから室長)がクオンツ出身の方で金融機関担当、もう一人が戦略コンサル出身の方で事業会社担当、最後の一人がKさんでソリューション営業担当。僕はなんでもしましたが、一部事業会社や年金基金にVaRの分析などもしてましたが、概ね保険会社案件を担当させていただくことが多かったです。Kさんはおもに金融機関担当だったので一緒に働くことも多く。
Kさんは本当に陽気な女好き(知らんけど)のおっちゃんでした。勢いというかノリだけで生きてるのじゃ?と思ったり。JPMでは当然周りはすごい高学歴集団だったのですが、Kさんは最後まで出身大学を教えてくれませんでした。誰も知りませんでした。多分高卒だったんじゃ無いかと思ってました(そんなことは仕事の結果には何も関係ないのですが)。しかし彼は

  • とにかくお客さんのグリップ力がすごい。情報を取ってくる。
  • 飲ミュニケーションももちろん。でも、話していて楽しいパートナーとしてお客さんの最初の相談相手と完全に自分の立場を確立できていた。ちなみにお酒飲まなくても相手を飲ませて楽しくさせられる。
  • でも、ただの楽しいおじさん、ではなく、ちゃんとマーケットのことも語れるし、なんだか説得力のある真剣な話も当然できる

3年しかいなかったですが、Millimanにはそんな人は誰もいなかったです。多分米国本社にもいない。本当に大きな仕事を着実に獲得されていたように覚えています。
入社直後リーマンショックで、残念ながらチームはバラバラになってしまいました。当時、毎週のように一つのシマ(チーム)がごっそり人事部に呼ばれて「もう来なくていいから。もうデスクにも戻っちゃダメだから」といきなりなんの前触れも無くクビになる中で、僕は非常に希少な存在でクビになる気もあまりしておらず(単純にジュニアだったからなのですが)、ちょっと他人事で「次はどのチームだろう、そわそわ」と、非常に稚拙な噂話をしていました。弁明にはなりますが、そんなことは全員がしていました。そしてKさんともそんな話をした際に、「それは君がそんな風に話すべきことではないから」と、いつもとは違うテンションで言われたことを強く覚えています。10年以上投資銀行を渡り歩いて、リーマンショックほどでなくともクビの嵐となるような状況で無いとしても似たようなことをたくさん経験されてきたKさんとしては、クビになる人の気持ちを僕なんかよりもよくわかっており、僕のような経験の浅い人間の発言に違和感を感じられたんだと思いました。いつもは陽気な彼の口から少し厳しい言葉が発せられ、僕はことの重大さを感じた気がしました。
その後転職をして、僕は自分の立場を、(分析もできる)ソリューション営業として作っていくことになります。Kさんとは異なる立ち位置ではありますが、大きな意味で彼に影響を受けたのは間違いありません。お互い転職して完全に競合他社となりましたが、Kさんにはいくつもディールを採られました。本当に天才でした。

野村證券(2010 ~ 2014)の部長のKさん

JPMのあと一社挟んで、サラリーマンとしては最も長く在籍することになる野村證券に入社しました。唯一の国内資本会社でありますが、2010年当時の野村は、リーマンの米国以外の部門を買収し、給料体系から組織体系から変容する過渡期でした。そこに転職組として入社しました(注:当時野村では、リテールやバックオフィスを中心とした従来組、元リーマン組、元リーマンに制度を寄せたグローバル型、そしてそこに入る転職組、とちょっとカオスな時代でした)
リーマン買収時、どうやら欧州では「Insurance Solution」チームというのがあるみたいだぞ、というので、日本でも立ち上げをするぞ!というので、僕が外部から初めて雇われました。確か4月入社だったのですが、しかし、5月には所属部門の部長(採用権限者)は、人事異動でいなくなり、Kさんが金融法人部からやってきました。Kさんは、直近、2010年に株式会社化&上場した第一生命の担当RM(リレーションシップマネージ)バンカーで、結構いけいけの出世コース野村マンでした。その当時は違いましたが髪は長髪でいつでもオールバック行ける感じ笑
Insurance Solutionチームは、生え抜き1名僕の入社前に女性がいらっしゃいましたが、産休ですぐいなくなってしまいましたし、主に僕とK部長で立ち上げないと、となりました。(野村には人材はたくさんいらっしゃったので、他にも数名転籍されてきましたが、僕は、勝手に僕とK部長で立ち上げたと思っています)。なお、K部長は、その後(僕の退社後ですが、やはり成功され、今は専務になっているはずです)。
K部長は海外出張が大好きだったので笑、二人で出張も結構数えきれないほどいきました。Insurance Solutionトレーディング部門はロンドンにあったのでロンドンはもちろんのこと。NomuraReという再保険会社も立ちあげ、野村グローバル全体でのNomuraReの初案件は僕のオリジネートした案件になりました。そこまで多くの収益はあげなかったけど、非常に大変で、しかし良い経験でした。結果として僕としては長めの4年間の在籍期間となり、非常に楽しくまたやりやすく仕事ができていた気がします。ちなみにInsurance Solutionチームは、リスクソリューション部というIBD部門の一部門でしたが、部門横断的に、大組織である野村證券の様々な人やファンクションを使いながらソリューション提供をしていて、やりがいもありました。
しかし、僕は、今考えれば当然なのですが、社会人6年目で、やっと人間としての教育を受けることになります。K部長はリテール営業から出世コースである本社の金融法人部、そしてそこで超絶大きな収益になる巨大複雑ディールである株式会社化&上場を担った、当時の僕からすると人種の違う人間でした。いや、住む星が違ったのかも。

  • mtgは絶対遅れるな。細かいところを気にできないやつが、大枠を組み立てられるはずがない
  • 思慮深い行動をしろ。上司に気を遣えないのになんでお前はお客さんに気を遣えるとおもってんだ
  • プロジェクトマネジメントはリスク管理だ。常に失敗するシナリオを想定しとけ
  • とにかく俺に任せておけ。俺がなんとかする、という兄貴感
  • 社内はもちろんのことお客さんからの絶大な信頼。一方で敵は作る。時には、圧倒的に政治的に攻撃
  • 普段のプロセスに対して非常に厳しい。しかし、結果が悪かったとしてもとんでもなく意外にも責めてこない

特に最後のところ、本当にびっくりしました。マイクロマネジメントではなかったのですが、普段は非常に細かくプロセスに口出しをしてきたのですが、結果にはそこまで変に叱咤された覚えがありませんでした。野村ではかなり上下関係が厳しいのですが、K部長はそこを一つの一線として守っていた気がします。やるべきことをきちんとやっていれば結果は運だよ、ということも言っていた気がします。やるべきことを徹底的に行うことは当然超越したレベルでした。K部長からは、一定程度保険の(エセ)専門家として僕を扱っていただき、良いチームで良い経験ができた気がします。あ、英語がそこまで上手ではなかったのが可愛かったです。

そして今。justInCase (2017~)の経営陣と仲間たち

これまでのサラリーマン時代とは完全に異なります。30名もの人数のチームメンバーのトップにたったこともなく、組織を作ったこともなく、スタートアップって何?というレベルでスタートした僕でした。
今、僕は変化しないといけなく、そしてそれを支援してくれるのはある個人というよりjustInCaseのメンバー全員だと思っています。仲間と衝突することも多いです。いつの間にか誰かが言い始めた「衝突をチカラに」がValueになりました。
チームメンバーの各人にそれぞれ育てられている点ももちろんありますが、もっと強く感じるのは、僕はこの組織、がむしゃらに失敗と衝突とやり直しを繰り返しながら育っていく事業と組織で、変化のプレッシャーを感じ、この「状態」に最も影響を受けていると感じています。
その意味で、これまで個人から影響を受けていた僕とは異なる変容を遂げるのかもしれません。そして、僕はいつの日か上述の「誰かに影響を及ぼすことができる個人」になることが出来るののでしょうか。
組織の成長、事業の成長、そして経営者(経営陣)の成長は、ニワトリタマゴであるとは思うものの、セットだと思っています。僕の成長が他の成長の妨げになることが無いように、日々を後悔しないように、しかし失敗や悲しみの感情は忘れず味わい、前に進みたいと思います。

保険料ゼロ円からのがん保険をご存知ですか?

  • がんになったら80万円給付!
  • がんになった人の保険金をみんなでわりかん
  • 誰も請求しないと保険料の支払いはゼロ円
  • 毎月の保険料は最大でも500円(被保険者: 20-39歳の場合)

↓↓↓詳細は画像をクリック↓↓↓