保険の原点は?
鎌倉時代からお金を仲間内で融通しあう仕組みはあり、無尽、頼母子講と呼ばれていたそうです。くじに当たった人が積み立てられた資金を受け取り、事業などに活用していました。
近代的な生命保険ができたのはいつ頃?どうやってできたか?
1867年、福沢諭吉が発表した欧米を旅行する人向けの手引書「西洋旅案内」において、近代的な生命保険を紹介しました。1880年、福沢諭吉の門下生である荘田平五郎と小泉信吉の話し合いをきっかけに「東京生命保険会社想起見込書」が起草され、その後1881年、同じく福沢諭吉の門下生である阿部泰蔵が名前を改め「有限明治生命保険会社」が成立されました。
生命保険の販売手法は?
生命保険の知識は社会に広く浸透していなかったため、生命保険について啓蒙を行いながら販売を行わなければなりません。生命保険会社は地主、実業家、銀行等の地方の名士に生命保険の必要性を説明し、代理店になってもらうことで生命保険を販売しました。販売当初は「人の生死によって金儲けをするのか」という誤解に基づく批判も多く、その普及には時間がかかるものでした。
当初の主な加入者は官吏、銀行の会社員、商人が主な加入者だったと言われています。
戦後になると、地方の名士による保険販売は影をひそめ、一方で、戦争により生活に困窮した寡婦を中心に多くの女性営業職員が採用されました。生保レディが誕生したのはこの戦後直後あたりだと言われています。営業職員が家庭訪問し、募集と集金を並行して行う営業スタイルが確立されていきました。
セールスレディの営業手法は「G・N・P(義理・人情・プレゼント)」と揶揄されることがしばしばあるものの、この営業手法によって生命保険が大きく普及したと言えるでしょう。
保険業法について
保険事業は法律により長らく規制されています。その根拠としては大きく二つあり、一つは保険会社が経営を乱すことで、保険金や満期金を受け取れなくなることを防ぐため、もう一つは、保険募集人が圧力的になったり説明不十分になったりと不適切な募集を行うことを防ぐためです。
保険業法は1900年に最初に制定され、1939年に改正された後、それから57年を経て1996年、金融ビッグバンによって抜本的な改正が行われました。以下、保険会社の経営面での規制、保険の募集の二点に分け、保険業法の改正内容を説明します。
保険会社の経営面での規制について
金融ビッグバンが行われる前までの保険行政は護送船団方式と呼ばれるもので、当事保険を監督していた大蔵省は上記二つの事態を防ぐために保険会社の業務の多くの分野に細かく介入していました。この介入のために保険会社間の競争が生まれづらく、各社横並びの商品を売り出さざるを得ない状況が続きました。
1996年の保険業法改正の結果、保険商品が多様化、複雑化し、保険会社間の競争は劇的に激しさを増していきます。
保険の募集について
1996年の保険業法改正では、募集に関する規制は先送りとなりました。かつてから対面販売での人間関係の構築をベースに行われてきたため、消費者の持つリスクを把握して保険を十分に説明できていなかったことは問題点でした。しかし、厳しく保険に規制をかけることで無保険になるのは、国民が裸でリスクにされされるということであり、保険の普及という点で家庭訪問による販売がまだまだ有効な手法であることは否定できませんでした。
保険募集に焦点があたったのは2005年の「保険金支払い漏れ事件」です。1996年の保険業法改正があり商品が複雑化したにも関わらず、保険募集人による十分な説明は依然として行われないままでした。多くの消費者は保険について十分に理解できていなかったため、大量の保険金支払い漏れが発生しました。
これを機に1996年~2016年の20年の間を経て、保険募集人、代理店は消費者の権利を十分に満たすように説明をする義務を負うようになりました。
今後の展望
ここまでまとめてきた通り、日本では保険業法をはじめとした規制が他国に比べ厳しく、またレガシー化したITシステムも相まって、新しいビジネスを展開する上での制約が大きいと言えるでしょう。
これらの制約の中でも、当社は古来からの保険の形である「助けられ、助ける喜び」をすべての人に届けるべく、「あらゆる不安に寄り添う”良い”保険」を開発してまいります。
参考文献
https://www.seiho.or.jp/meiji/pdf/data.pdf
https://www.jili.or.jp/research/search/pdf/D_169_1.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsis/2016/635/2016_635_1/_pdf